黒沢美香振付作品「Mode ‘n’ Dance」をめぐって

2016年12月に他界した黒沢美香の追悼公演が、黒沢美香&ダンサーズによって今年(2017年11・12月)行われる。

4つの追悼企画のうち、「黒沢美香振付作品集『ダンス☆ショー』より」が日暮里d-倉庫で行われる。本稿では、『ダンス☆ショー』の演目のうち「Mode ‘n’ Dance」という作品に焦点を当て、その歴史や出演者からの言葉を通して、いくつかの角度からこの作品について考えたい。


「ダンスとは何か」という疑問が投げかけられてずいぶん経った今なお、多くの人にとってダンスとは、鍛え上げられた身体、高く上がる脚やコマのような回転などのスキル、音楽に合わせて目まぐるしく展開する振付などかもしれない。

クラシックバレエ、モダンダンス、ジャズダンス、ヒップホップダンス、バーレスクダンス、ポールダンス、民族舞踊、多くの踊りにとって、踊りとはまずは理想とする「型」(model)があり、そこに向かって身体を矯正し、理想へと向かっていくものである。

しかし、ここで取り上げる黒沢美香振付作品「Mode ‘n’ Dance」は、それらの「型」へ向かうダンスに対するシニカルな視点が特徴の作品である。

2011年1月『ダンス☆ショー』より「Mode ‘n’ Dance」@綱島温泉東京園 撮影:福井理文

■「Mode ‘n’ Dance」と『ダンス☆ショー』

「Mode ‘n’ Dance」は、今では黒沢美香&ダンサーズの上演演目(→十八番)の一つである『ダンス☆ショー』の中で踊られる。

『ダンス☆ショー』は、どこか懐かしい音楽に乗せて小作品が次々と展開する演目である。黒沢美香・出口→氏による『偶然の果実』などの活動を通して作られた小品をまとめ、1998年に神奈川県立音楽堂で上演された『郷愁メロディーとダンスの並列』が、『ダンス☆ショー』の原型とされている。

これはリーダース・ダイジェストの通販で購入されたレコードを発見したことから始まる。昭和の音楽が明るく単純な編曲で嬉々と演奏されていた。私は捻って捻り過ぎる癖があるので単純で明るい疑いのなさに圧倒される。単純で一本槍なダンス、凝らずにお遊戯のような動きで組み立てた小品の粒。初演新たな小品も織り混ぜてゴツゴツと並べたものを「ダンス☆ショー」と呼んでいる。つまり「ダンス☆ショー」とはこの20年間に発生した小品の束を指す。一つ一つのダンスには多くの身体が通過してやっと一つのダンスが誕生している。長い時間と多くの身体を基に「ダンス☆ショー」は毎回太りながら生成されていく。

文:黒沢美香(2007年『なんという寛容な肉』チラシ文より)

『ダンス☆ショー』の中でもひときわ強烈な印象を残す「Mode ‘n’ Dance」。モーツァルト「交響曲第40番 第一楽章」を使用したナンバーで、そこから通称「モーツ」とも呼ばれる。

美しいクラシック音楽に合わせて一見バレエ的な振り付けが展開されるものの、ダンサーたちは要所に散りばめられた冗談とも思える動きや、全速力で走ってぎりぎり間に合うようなフォーメーションの移動に振り回される。


■「Model ‘n’ Dance」から「Mode ‘n’ Dance」へ

「Mode ‘n’ Dance」は、黒沢美香と出口→氏との共同作業であった「偶然の果実」から1992年に誕生し、当初は「Mode’n’Dance」(モードンダンス)ではなく「Model’n’Dance」(モデルンダンス)と名付けられていた。

偶然の果実第11回『MODEL’N’DANCE』
巧みな統一や軽やかさのイメージ、的確な計算によっても堕落することができる。モーツァルト交響曲第40番ト短調はどうでもいい賞賛と微かな軽蔑の空気を纏いつつしかし謂れのない抑圧で身を苛んでくる。モデル「と」ダンス。

偶然の果実 第12回『MODE’N’DANCE』
modelは動き出す。「輪郭(臨海)」を示す線が、より十全に、一層の自由に向けて磨かれていくのに、距離の作用は不可欠だから。寧ろその意志と情動が不可分だから。となると、旅をするのは私かあなたか世界の方か。modeは《変わる》。

「偶然の果実」パンフレットより(1992年)
モデルが普通振付と呼ばれているものを指すのに対して、「ダンサーは立ったその場所を動いてはならない」という「振付」はモードへの振付、と考えていい。モデルが模型/理想像であるのに対して、モードは様態/有り方、という言い方もできる。モデルをモードとすることで問いかけるものの範囲を広げた。

Model ‘n’ Dance」とは「Model and Dance」、「Mode ‘n’ dance」とは「Mode and Dance」の意味である。

出口→氏への取材より(2017年9月27日)

「ダンサーは立ったその場所を動いてはならない」というフレーズは、同じく『偶然の果実』から生まれた「lonely woman」に充てられた言葉であるが、「lonely woman」も「Mode ‘n’ Dance」も、既存の「型」へと向かうダンスに疑問を呈し、個人の佇まいや立ち方、変化を「ダンス」とするものであった。

この踊りはバレエのパロディのようにも受け取れる。バレエのように初めに理念があり、“どうやってそれに近づくか”ではなく、“どれだけそれを飛び越えられたか”を“ダンス”とすると当時、出口→と黒沢美香は考えていた。
最終的に原理上個々の身体は「モデル」には到達し得ず、ダンスは原理上個々の身体を通じてしか体験されない。固定された 「美」へ向けて洗練していくことよりも、個々の身体の「ソコニアル」を暴露していくことがダンスだと考えていた。

出口→氏への取材より(2017年9月27日)

■「Mode ‘n’ Dance」か「Mode ‘n Dance」か ~タイトル誤植の経緯~

当時のパンフレットなどを見ると、「Mode ‘n’ Dance」と「Mode ‘n  Dance」の二つの表記が混在している。前者はアポストロフィーが「n」の両側に付き、後者は「n」の前のみに付いている。

どちらかと言えば後者の「Mode ‘n  Dance」の表記のほうが多く見受けられ、こちらのほうが正しい表記かと思われがちだが、正しくは前者の「Mode ‘n’ Dance」である。

モデルンダンスもモードンダンスもアポストロフィーは本来Model ‘n’ Danceとか、Mode ‘n’ Danceのようにエヌの両側に着くべきものです。ロックンロールRock ‘n’ RollやドラムンベースDrum ‘n’ Baseの表記と同じことです。「and」の「a」と「d」が略されている、という意味だからです。
最初の偶然の果実で誤植があったのにずっと誰も気が付かず、どこかでワープロで打ちこみ直したときに気が付いて訂正したのに、その次のチラシでは写植屋さんやSTスポット側が初出の原稿を見て気を利かせて元に戻してしまったり、また気が付いてアポストロフィー二個に再訂正したりの混乱が続いたので、数年間両者の表記が混在してしまったかと記憶していますが、「’n’」と表記しなくてはそもそも意味が通じません。 ただ、誤表記状態の「Mode ‘n  Dance」を見て、「これではモダンダンスmodern danceから『r』を省略したみたいで、日本人が『r』と『l』の発音を上手く分けられないから『Mode ‘n  Dance』というのが日本のモダンダンスのことでございます』と言っているみたいだ」というぼくの指摘を黒沢氏が非常に面白がって「なら、このままでいいよ」と話したこともあります。

出口→氏からのメールより(2017年10月)
ホント、このアポストロフィーは鬼門だったんですよ(笑)。当時は校正するにも版下のコピーみたいなものかブラウン管のワープロの画面だったんで、点があると言えばあるような無いと言えば無いような。で、見落としがちだった。印刷物を刷り直すお金なんて絶対に使いたくなかったし、「いいや行っちまえ」って。

出口→氏からのメールより(2017年10月)

■「Mode ‘n’ Dance」の歩み

「Mode ‘n’ Dance」は1992年に誕生したのち、多くの身体が通過している。

横浜ST Spot での初演では武元賀寿子、萩原富士夫の2人が出演。萩原富士夫がいたのは「振付を踊れない」ことが重要だったから。その後、ギリシャ公演ではそれに黒沢美香が加わり、さらに出口→、森田恭章、坂井原哲生が出演。意外と器用だった萩原はそれをこなせるようになってしまった。そこで出口、森田、坂井原を混ぜ込むことで、より問いを拡張しようと意図した。(「振付を踊れない」どころかそれを覚えられない、覚えたものの正しさをどうにも判断できない、そもそも覚える気の無い、といった身体たち。) その後の偶然の果実@ST Spotでも上記6人が出演した。

出口→氏への取材より(2017年9月27日)
1992年12月8日 『偶然の果実 #12』「Mode ‘n’ Dance」@STスポット(横浜)スクリーンショット

<「Mode ‘n’ Dance」年表>

1992年 9月8日 『偶然の果実 #11』 「Model ‘n’ Dance」 @STスポット(横浜) 武元賀寿子、萩原富士夫
  11月 黒沢美香 & Dancersヨーロッパ・ツアー 「Mode ‘n’ Dance」 @ERGOSTASIO (ギリシャ/アテネ) 武元賀寿子、萩原富士夫、黒沢美香、出口→、森田恭章、坂井原哲生
  11月 黒沢美香 & Dancersヨーロッパ・ツアー 「Mode ‘n’ Dance」「lonely woman」+ワークショップ @DANCE THEATRE ROES(ギリシャ/アテネ)  
  11月 黒沢美香 & Dancersヨーロッパ・ツアー 「Mode ‘n’ Dance」@BROTFABRIC劇場(ドイツ/フランクフルト)  
  12月8日 『偶然の果実 #12』 @STスポット(横浜) 武元賀寿子、萩原富士夫、黒沢美香、出口→、森田恭章、坂井原哲生
1998年 神奈川県芸術舞踊祭 『郷愁メロディーとダンスの並列』 @神奈川県立音楽堂 吉川恵子、吉田法子、西村浩子、湯川文子ほか
2003年 12月23日 東京バビロン企画 シアター・キャバレー#1 『なんだこのオンナたちは をどらせておけナイト』 @シアター・バビロンの流れのほとりにて 磯島未来 オガワ由香 木檜朱実 小林美沙緒 椎名利恵子 須加めぐみ 田村葉子 新美佳恵 堀江進司 平松み紀 吉川恵子 吉田法子
2004年 7月16日~19日  『ダンス☆ショー』 @麻布die pratze 木檜朱実、清水和、堀江進司
  12月26日 黒沢輝夫・下田栄子モダンバレエ研究所発表会 @エポックなかはら 田村浩子、吉川恵子、小林美沙緒、吉田法子、加藤若菜、須加めぐみ、田村葉子、磯島未来、木檜朱実、堀江進司、清水和
2006年 4月12・13日 美学校ギグメンタ2006  『ダンス☆ショー』 @美学校 木檜朱実、清水和、堀江進司、大迫英明、りな・りっち &有志
  11月18日・12月2日  『ダンス☆ショー』 @綱島ラジウム温泉東京園 木檜朱実、堀江進司 &有志
2007年 7月27日~29日『なんという寛容な肉』 『ダンス☆ショー』 @こまばアゴラ劇場 木檜朱実、堀江進司 &有志
2008年 10月17日~18日 『Dance Selection2008』 『ダンス☆ショー』 @六本木オリベホール 木檜朱実、藤木恵子、堀江進司
2010年 5月15日 『まだ踊る』 『ダンス☆ショーA』 @横浜赤レンガ倉庫 1号館3Fホール 木檜朱実、藤木恵子、堀江進司、江積志織
2011年 1月22日・29日 『ダンス☆ショー』 @綱島ラジウム温泉東京園 木檜朱実、滝口美也子、藤木恵子、堀江進司

初演は『偶然の果実 #11』にて踊られ、その後アテネやフランクフルトを回っている。のち、「ロマンチック・チュチュを着て踊った」という1998年の神奈川県立音楽堂を通過。のち、『ダンス☆ショー』の演目として踊られている。

1998年『郷愁メロディーとダンスの並列』より「Mode ‘n’ Dance」@神奈川県立音楽堂 スクリーンショット

■「Mode ‘n’ Dance」の出演者たち

歴代の出演者から、「Mode ‘n’ Dance」についての話を伺った。

■「Mode ‘n’ Dance」(通称「モーツ」)の好きなところは何ですか。

バレエの基本的な振りと即興の部分が交差しているところ。又テクニックがなくてもダンスになるという美香さんの姿勢が現れているところ。

「Mode ‘n’ Dance」のつらいところは何ですか。

つらいと思ったことはないです。

自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

湯川さんの即興部分、藤木恵子さんの気合の入り方が素敵だったと印象に残っています。

「Mode ‘n’ Dance」を踊っていて、一番苦労したところは何ですか?

脚を素早く動かすところ。いまだに出来ません。

「Mode ‘n’ Dance」を見るのと踊るのとは、どう違いますか?

どの演目も見る楽しみと踊る楽しみは違うと思います。見る場合は踊っている人に何処かに連れていってもらう。踊っている場合は自分が扉を開けて何処かに行く感覚。

あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

ダンスを始めて何もわからないまま、ロングチュチュを着てバレエシューズを履き、5人で発表会で踊ったこと。全員がダンス未経験者。無我夢中の状態でしたが、楽しかった。美香さんの作品を本番で初めて踊った自分の原点です。

「Mode ‘n’ Dance」について、印象に残っている美香さんの言葉はありますか。

美香さんは映画「ニキータ」の話をされていました。後に「ニキータ」を見たときに、主人公が訓練でバレエのレッスンを受けている場面がありハチャメチャだけれど魅力に溢れていてこの場面を言っていたのかなと思いました。

「Mode ‘n’ Dance」(通称「モーツ」)の好きなところは何ですか。

曲(モーツァルト交響曲第40番ト短調)が好きだという事もですが、美香さんの振付が好きです。

「Mode ‘n’ Dance」のつらいところは何ですか。

つらくはありませんが、体力的にきついです。

自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

藤木恵子さんの命を懸けたようなど迫力、真剣さ。

「Mode ‘n’ Dance」を踊っていて、一番苦労したところは何ですか?

小走りで円周上を回りながら滑り込んで膝をつくところのタイミング。滑り込む方向、基本、直線上、音に合わせて、というところが結構むつかしい。

「Mode ‘n’ Dance」を見るのと踊るのとは、どう違いますか?

はて?その違いはよく解らないと言うか、どのダンスでも見るのと踊るのとは全く違うと思いますが、同じあほなら踊らな損ですかね。

あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

初めての本番、しかも初演で衣装がロマンティックチュチュにティアラ。後にも先にもこの時だけ。踊っている時そのティアラがずれ、数本の髪に引っかかったまま落ちないで頭の横でブラブラ。悲惨な状況で踊り終えましたが、とても楽しかったことを覚えています。

「Mode ‘n’ Dance」について、印象に残っている美香さんの言葉はありますか。

バレエのバの字も知らない、アラベスクもまともに出来ない。バレエダンサーとは対極にいるダンサーらしくないダンサーが、真面目に真剣にダンスする。

■ 自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

昔、稽古場で見たVHS映像の神奈川音楽堂で行われた黒沢輝夫・下田栄子発表会の中でロマンチック・チュチュを着た涼やかな(でも明らかにバレリーナではない)6,7人のご婦人たちのモーツは優雅な雰囲気を装いながら、時折ひっくり返してハッチャケていた。その偽物くささと逞しさが衣装と好対照をなしていた。

そして(いつかはわからない)VHS映像の中の萩原富士夫さんのモーツは、暑苦しさを通り越してこちらまで汗しぶきがかかってきそうな勢いで、いまだに強烈に記憶している。私にとってのモーツの原風景である。

つい最近(初演ではない)ST SpotでのモーツをVHSで観る機会があった。クールに小粋に踊る武元賀寿子さんと黒沢美香さん、ゴツゴツした質感でクールな2人に勝るとも劣らない圧力の萩原富士夫さんのコントラストが見応えがあった。(後ろで踊る3人の一見モーツ組と無関係だが、全体としてより豊かになっている居方もお見事。)狭い空間ということもあり、今とは全然違ったモーツの踊り方で、オンとオフやセッション的要素がよく見えた。いくつかの振りの原型を気づかせてくれるのも嬉しい発見だった。同じ踊りでもこんなに変わるものだとドキドキしながら見入ってしまった。

■ あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

2002年11月に黒沢美香の稽古場に通い始め、2003年のダンス☆ショー@東京バビロンで初めてダンス☆ショーに参加した。この時、モーツだけの出演。(共演:堀江進司)

他のダンサーは皆、一汗かいて身体もゆるんだところに、いきなり一曲だけ踊る。経験も少ないうえ、すごく緊張してアラベスクも何もガタガタだったので、終わってから美香さんの顔が見られなかったのを覚えている。一曲だけ違う質感の身体が出てきて、風穴を開けられたらかっこいいけど、そんな美香さんの狙いをむざむざと砕いてしまった。今でも忘れられない初めてのモーツ。

■ 「Mode ‘n’ Dance」(通称「モーツ」)の好きなところは何ですか。

約8分間の音楽に乗せてダンスを探り、思いがけない境地に行けたり行けなかったりの醍醐味や、苦労と背中合わせの悦びを身体で味わえるところ。

モーツを踊るその時までの蓄積と当日の魔法で、踊りがどう展開するのか、当人達にもわからないところ。

踊る人の中にある、切実な何かが動きから漏れ出し、それが、見る人の感覚に触れる波動が振付の中に含まれているのかも知れません。これまでに何度もモーツを踊りましたが、踊り終えた時の拍手の響きから、そんなことを思いました。

■ 「Mode ‘n’ Dance」のつらいところは何ですか。

久しぶりに踊ると、すぐに息が上がって、振付をたどる事と即興の綱渡りを試す以前に、ダンスにならない、疲弊した身体が浮上してしまうことがツライです。

音楽の中を走り続けるような踊りゆえに、持久力があって当然の構造。一方で、体力もついて、ゆとりが生まれたとしても、良かれと選んだダンスの選択が、意に反して場を乱してしまうことも多々あり、それもツライです。

■ 自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

◆藤木惠子

笠井叡氏の元で研鑽後に綱島の稽古場に来た女性。藤木さんの身体の重さ、切り返しの潔さ、鮮やかな狂気に救われて、共に踊ったモーツは、いつも輝いていた。

◆木檜朱実

大野一雄氏、高井富子氏に師事した後、美香道場の門を叩いた人。美香さんも舌を巻く天然の勤勉さでダンサーズを裏で支え続けた、木檜さんの素晴らしき愚直がモーツでの立ち位置であり、彼女の在り方に支えられた。

◆滝口美也子

私個人のダンス史と重なる点も多く、悩みを分かち合える仲間。モーツへの憧れが強く、不慮の怪我による骨折でも、石膏の包帯状態の腕でありながらモーツを踊った彼女の気迫に感銘を受けた。その時の踊りを美香さんも感心していた。

■ 「Mode ‘n’ Dance」を踊っていて、一番苦労したところは何ですか?

振付と即興のバランス。どちらに傾きすぎても踊りが壊れる。片方が良くても、もう片方が崩れてしまうこともあれば、片方が盛り返すと、もう片方も取り戻せたりする。

美香さんの思い描くモーツの意図や、振付家として守って欲しいダンスの質、身体はきちんと大きく精一杯使う、清潔に踊る、という事に、毎回、苦心の連続です。

天国の美香さんがニヤリとするような、そんなモーツにたどり着けたらと、願うばかりです。

■ 「Mode ‘n’ Dance」を見るのと踊るのとは、どう違いますか?

踊る時は音楽と一体となって、身体は熱しながら、常に頭では冷静に周りを見渡し、自分のやるべき事を瞬間瞬間で判断して行く感覚です。その両軸でダンスを運べたときは最高の充足感が得られますが、そんな事は滅多にありません。苦しくて困りながら踊る時でも、どう切り替えしたら、場が盛り返すのかを考えながら踊っています。

単に見ているだけだと、自分ならこうするかも、ああするかも、これは真似したい、あれは嫌だな、という風に、検討の眼差しばかりになってしまいますが、踊りを見ながらでも、頭の中でモーツを踊っています。

なので、どちらにしても踊っていると思います。

■ あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

六本木、オリベホールでの公演では、ダンサーズの面々が疲れていて、踊りが発展しないもどかしさを打破するために、ある小道具を持って踊ることが、それぞれの作品の中で一人だけ持つことを許されて、それをバトンしてゆくルールでした。

その小道具とは、おそらくラップの芯であると思われる白の紙筒。それを手に握って踊ると、不思議な事に紙筒がアンテナのごとく作用して、身体に責任感と力が増し、実際に踊りも輝けたのだった。一方で、どうして、この身体と意識だけでは、ダンスのアンテナとして機能してくれないのかと、悔しくもあった。たったひとつのキッカケ、暗示で、身体が色めき立つ不思議。美香さんによる選択の魔法に助けられた、六本木モーツでした。

■ 「Mode ‘n’ Dance」について、印象に残っている美香さんの言葉はありますか。

『なーんてね!』という、遊びとゆとりが、モーツには必要なんだと思います。

そう、美香さんに言われた記憶があります。

生真面目、ユーモア、挑戦する姿勢と共に、何と言っても、二十代の美香さんの心意気が、モーツにはふんだんに取り込まれているのではないでしょうか。相反する美学を求めるダンスとして存在する、モーツ。

「じゃあ、今日はこれからモーツを踊ってみましょう。いいですか?」と、稽古の中で突然の展開となって、懸命に踊った後に「意外と残っていましたね、感心しました。ここからまた、磨いて行きましょう」と、言ってもらえた時は嬉しくて、心の中で、やったぜ!と叫んだ。

木檜さんとホリエのモーツにおける組み合わせを、美香さんは「夫婦(めおと)」と名付けてくれました。振りのどんなに小さなきっかけや、パーツにも名前を付けて、保存して取り出すために管理する、美香さんのダンスの法則のひとつです。カミナリ、五木、スペイン、イタリア、等々。モーツの中には、沢山の名前が隠れているのです。

過去のダンス☆ショーのキャッチコピー。「きみのからだはダンスにしては重すぎる」は、モーツを踊る三人から導かれた言葉ではないだろうかと、自負して良いのか微妙ですが、言い得て妙な、美香さんの言葉のセンスにヤラレ続け、護られていた私たちです。

■ 「Mode ‘n’ Dance」のつらいところは何ですか。

「白鳥」の振りで振り返るときの膝。

■ 自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

ホリ(堀江進司)とこぐれさん(木檜朱実)がめちゃめちゃ可愛い。手足の長さが絶妙なんだと思う。

■ 「Mode ‘n’ Dance」を踊っていて、一番苦労したところは何ですか?

最初の体重移動を美香さんに注意されました。たぶん、今はモーツを踊ることがなにより苦労しそうです。

■ 「Mode ‘n’ Dance」を見るのと踊るのとは、どう違いますか?

見るときは観客目線で楽しみます。

■ あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

暑い稽古場とサポーター。

■ 「Mode ‘n’ Dance」(通称「モーツ」)の好きなところは何ですか。

狂気性をはらんでいるところです。この有名なモーツアルトの曲を「平静を装うとしているが、ナイフが見え隠れしている」という風に振り付けるなんて、すごいなと思いました。

■ 「Mode ‘n’ Dance」のつらいところは何ですか。

体力的につらいです(笑)

■ 自分以外の「Mode ‘n’ Dance」では、誰のどんなところが印象的でしたか?

2004年の麻布の「ダンス☆ショー」での、堀江、木檜、清水トリオのモーツです。

正直、稽古段階では振りさえもおぼつかなく、「本当に大丈夫かな?」と思いました。でも本番はすばらしかったです。狂気というより、「ひたむき」さでした。三人の武骨なひたむきさが渦となって場を満たしていました。こういうモーツもあるのかと感動したのを覚えています。

■ 「Mode ‘n’ Dance」を踊っていて、一番苦労したところは何ですか?

体力配分です。後半、ダンサーたちが渦を巻くように踊るシーンからラストまで、激しい流れとうねりのようなものを踊りたいと思うのですが、なにせ体力が続かない。表現したいのに体力切れは情けないのですが…

■ 「Mode ‘n’ Dance」を見るのと踊るのとは、どう違いますか?

自分が踊っていたので、やはり踊る側の目線で見てしまいます。なので正直違いはよくわからないです。

■ あなたと「Mode ‘n’ Dance」の思い出話を聞かせてください。

2004年の「ダンス☆ショー」の三人モーツは、稽古場でゼロから作り上げた過程を見ました。その時の三人モーツは、それまで私たちが踊っていた「モーツ」と方向性が違いました。というより、踊りを成立させるために変わっていったというように思います。狂気をはらんだたくらみのモーツから、狂気に向かうひたむきさ、大げさに言えば「ドン・キホーテ」のようなひたむきさみたいな。そういう「モーツ」に変わっていく過程を見るのは、興味深かったです。

■ 「Mode ‘n’ Dance」について、印象に残っている美香さんの言葉はありますか。

モーツに対しての美香さんの言葉は覚えていないのですが、2004年の三人モーツの稽古をしていた時の美香さんのたたずまいは今でも心に残っています。

稽古途中に、「きっと美香さんはこの三人のモーツに新しい可能性を感じているんだろうな」と思いました。だから、本番での三人モーツのひたむきな爆発を目にしたときは嬉しかったし、やはり美香さんはすごい方だなと思いました。


■黒沢美香&ダンサーズ『美香さんありがとう』

黒沢美香&ダンサーズは、それぞれの身体に宿る黒沢美香の振付・ダンスに向かった日々を現在に更新しながら、「一人に一曲」「lonely woman」「追悼特別上映会」「黒沢美香振付作品集『ダンス☆ショー』より」の4つの企画からなる追悼イベント『美香さんありがとう』を開催する。

そのうち「黒沢美香振付作品集『ダンス☆ショー』より」の公演が、d-倉庫で12月29日・30日に行われる。黒沢美香&ダンサーズは、この公演を活動の区切りとする。

最後の「Mode ‘n’ Dance」は、Bプログラムで踊られる。「Mode ‘n’ Dance」以外の演目も、長いダンサーズの歴史の中で多くの身体が通過し、膨らみ続け、それらは今なお斬新で刺激的である。

文責:斎藤麻里子